草加大介のナンパ塾、及び恋愛駆け引き、口説き塾
 
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【弊社設立の動機】

 

 
   「ナンパ塾」「結婚対策塾」「恋愛駆け引き、口説き塾」、弊社はこの3つの塾を主宰しましたが、その動機が世間に伝わりにくいのが現状です。ゆえに、開業してから2年後の2000年に弊社を設立した動機を「恋愛空間再生論」というタイトルで文書化しました。
 今では当たり前のように世間に浸透してる事実も当時としては知る人がとても少なくて、下記の文章を一部のマスコミに見せたら深刻な表情をする人が多かったのです。
 従軍慰安婦、南京大虐殺、歴史教科書問題、戦後賠償問題、人権思想、平等主義、フェミニズム、こういった言葉についてしっかり解釈している一般の人もとても少なくて、実際に自分のまわりでは正しい認識がある人は一人もいませんでした。しかしその後、中国の台頭や北朝鮮の軍事的威圧、他にも学校の崩壊や未成年の犯罪者に対する過度の人権擁護などの報道によって、世間は右極化し、前述の言葉に対する正しい解釈が浸透しました。
ゆえに、多くの人たちの理解が深まっている現状で、「恋愛空間再生論」を公開する必要があるのかどうかいろいろ考えましたが、平和や核兵器に対する自分の考え、他にも日本の文化保守に対する願い、そして開業前に抱いた信念を考慮してそのまま公開することにしました。
 文章を書いて原稿料をしっかりもらえる立場になった今、この文章を振り返ってみると、表現や言い回しがとても幼稚でガキの作文のような気がします。若かったから書けたような文章です。
 いずれにせよ、下記のような動機により、塾を開業しましたが、世間にはいろいろな考え方があるでしょう。だから、自分の考えを述べましたが、人にそれを押し付けるつもりはありません。そんな行為は趣味ではないし、そんな役割を担う立場でもないからです。
 ナンパや口説きについて懸命に考え、そして指導するのが務めで、努力を常に心がけて、皆さまの期待に応えたいと自分は思っています。
 恋愛で一人でも多くの人に幸があるように頑張りますので、今後もよろしくお願い申し上げます。

2007年11月 新しいHPを公開する前に・・・
草加大介

『恋愛空間再生論』
全共闘G  全然問題を変えて、三島さん結婚していますか?
三島     ハッハッハッ、してるよ。
全共闘C  してるよね。(笑)
全共闘G  それで奥さんのほかの女で何か気に入ったのがいたとして、それを抱きたい時にどうします。
全共闘C  抱くよね。
三島     それはそうだ。(笑)
全共闘G  相手が承知してくれなければ?
三島     いやまあ、それはたいてい承知するよ、おれなら。(笑)

 日時 1969年5月13日
  場所 東京大学教養学部900番教室
  主催 東大全学共闘会議駒場共闘焚際委員会

 三島由紀夫・東大全共闘「美と共同体と東大闘争」角川文庫より引用

(告発開始)
 
 1998年より「ナンパ塾」を俺は開業した。その後、99年に「結婚対策塾」(現在、休業中)を03年には「恋愛駆け引き、口説き塾」を主宰した。どの塾も日本では前例のない事業であり、後に俺のマネをして似たような塾が色々開業されたが、最初に主宰したのは俺である。俺が開業するまで、「ナンパ塾」等は日本に存在しなかった。
 ゆえに、マスコミや世間の注目を集めた。テレビや雑誌の記者達が俺の身を取り囲むように接触してその業務を報じてくれた。しかし、マスコミが俺の身を取り囲むのも最初の間だけと考え、ナンパ塾は当初3ヶ月前後で潰れると予想していた。その後は別の事業の起業を準備していたのである。
 マスコミの注目を集めるようになったら、その間に俺はあることを訴えようと考えていた。それは日本が少子高齢化社会と化した原因であり、モテない男が増え続け、男女のコミュニケーションがギクシャクしてしまった原因でもあった。今の日本の異常とも言えるような現象を告発しようと考えていたのである。
 しかし、マスコミの多くは弊社の業務を取り上げようとする時、ナンパを教えるような、面白い塾が開業したという文字通り極めて難破な視線で報じようとした。当然と言えば当然だろう。
 実際、マスコミが取り上げた記事は面白く書けたと思う。このサイトではナンパ塾の実践講習の結果等の詳細も紹介しているが、大半の読者が知っている通り受講生達の成功率はかなり高い。マスコミも実践講習を見学に来たりしたが、その成功率の高さに度肝を抜かされている。
 そうなればいい加減な者が多い、ナンパというカテゴリーの中でより際立って記事にしやすかったと思う。しかし、世間ではナンパを教えるような面白い塾があるというような認識が浸透しただけとなってしまった。それゆえ、俺がナンパ塾を開業した理由と訴えようとしたことが、世間に対して全く解らないで業務を続けるようなかたちとなってしまった。
 だが、俺はもう限界である。俺がナンパ塾を開業して訴えたかったことを今ここで公開したいと思う。タイトルは『恋愛空間再生論』だ。
(歪んだ社会)
 
 時期としてはバブル以降となるが、この国の中で何かが少し狂ったように感じる者は多いのではないだろうか。政治家の汚職は悪質化し、役人達の不祥事も多くなった。少年犯罪も増加し、凶悪犯罪や猟奇殺人、更には幼児虐待も珍しくなくなった。学校や家庭内の暴力も増加。教師のモラルも著しく低下。そして、ストーカーやひきこもりやニートといった新たな言葉も社会に蔓延。歯止めの利かない少子化。連日、テレビや新聞ではそんな報道ばかりである。
 孤独を感じている者も増えているようだ。髪を染めながら楽器を手にする若者達。出会い系サイトでアバンチュール求める主婦。人付き合いを避けてパソコンに向かう若者達。秋葉原にたむろするオタク達。
 バブル以降、大衆各々の心理がなぜか歪んでいるようだ。まるで各々の心理は空中を浮遊する粉塵の、一つ一つの粒のように行き場が定まらず、決して安定することもなく暗い空間をさまよっているように感じてしまう。・・・・・・
 一方、歪んだ現象とまでは言えないかもしれないが、恋愛に縁がない男(モテない男)が激増し、同時に結婚したがらない女性が多くなったとマスコミが指摘するようになったのもバブル以降である。
 他にもマスコミは家庭の外で働く女性を賛美し、女性の社会進出のアピールに対して積極的になり始めた。企業の中で働く女性の立場を保護するように、弁護士やマスコミが強く配慮を開始したのもバブル以降(バブル直後の頃)からである。フェミニストを自称する者もかなり多くなった。そんな者達は「女性=弱者」と考え、その立場を配慮するように考え出した。
 しかしながら、弱者の立場を訴えるスローガンは男女間だけにとどまらない。バブル以降、学校(=戦後民主主義教育を行なう現場)にも異変が確認できる。運動会の徒競走において一部の学校では、ゴルフのハンディのような配慮が生徒になされているらしい。つまり、足の速い者のスタート地点はゴールから遠い場所。遅い者はゴールに近い場所。そうやって生徒達の能力に応じて、スタート地点がバラバラになっているのだ。生徒同士の平等を目論んだ結果、以上の配慮がなされているらしい。
 だが学校において、平等なのは生徒同士に限らない。教師と生徒も平等関係が配慮されているそうだ。それゆえ、たとえ生徒が教師を殴ったとしても、教師達はその暴力に応じることは一切許されないらしい。立場が平等である以上、体罰や暴力を与える権限はないからである。
 くわえて、運動会についてもう一点だけ指摘するが、今現在学校の運動会では赤と白のボールを使った「球入れ」が禁止され、青や黄色のボールを使用する学校があるそうだ。その理由は、赤と白は軍国主義につながるからとのことだ。
 以上、フェミニズムから学校の運動会までを指摘したが、こういった現象も全てバブル以降から確認できるようになった。
 だがここで、軍国主義という言葉が出たので、もう一点だけバブル以降の異変を指摘させて欲しい。読み上げる読者はいちいち面倒かもしれない。だが、この個別に議論する内容が後で一つに結び付き、多くの男女の恋愛のあり方に影響を及ぼしていると俺は考えるからだ。
 多くの読者が従軍慰安婦の存在についてご存知だろう。第二次世界大戦は半世紀以上も前に終了したのだが、突然その被害を訴え出る者が出た。弁護士、進歩的知識人、市民団体、この3者が主としてその罪を告発し始めた。ことがことなので、マスコミもこの告発を積極的に取り上げた。
 なおこの件において、くれぐれも強調するが、告発が開始されたのは被害を受けた相手国からではない。この告発は日本の国内が出発点となっている。しかも、知らない読者は驚くかもしれないが、この告発はでたらめだった。多くを語ることは避けるが、その慰安婦の存在はデマであることが暴かれたのである。奇妙であり、異変事態である。
 繰り返しの指摘になるが、バブル以降の色々な異変を全て分離独立の関係と俺は考えない。一つ一つの異変には原因となるモノが潜んでいるが、それを最終的に深く探れば一箇所に収まっているのだ。そして、男女の恋愛関係や夫婦関係、他にも企業内における男女関係にまで大幅に影響を及ぼしているのだ。
(人権思想の台頭)
 
 人権思想ーバブル以降、実はこの思想が台頭している。読者達の中でもそれを知る者はいるのではないだろうか。大まかに言えば弱者の人権を配慮する思想である。いちいち書き出してみるが、弱者とは次のような立場の者だ。女性・子供・犯罪者・ホームレス・身障者・被雇用者・在日朝鮮人・被差別部落の人達・・・等だ。
 主として言論人の多くや新聞社の記者達はこの弱者の中に第二次世界大戦の時、日本軍が進出したアジアの諸国を交えない。彼等の多くは分離独立した議論と考える。だが、俺は数多くの本を読んだ末、この弱者の中に中国や韓国なども交えながら議論するべきだと思う。最終的に読み進めれば分かるだろうが、『天皇陛下以外の全ての人間達』もこの弱者に加えてもいいと俺は考えている。
 とにかく、前述した学校内の異変、つまり運動会の徒競走や玉入れや暴力事件、それ等のことを言っているのだが、超配慮的と言えないだろうか。
 同様のことを述べよう。バブル以降突然だったが、従軍慰安婦や南京大虐殺の議論が日本に蔓延した。前述した通り、従軍慰安婦の存在はでたらめだった。だが、それにくわえて30万人を殺傷したとも語られる南京大虐殺についてもその証拠は全く出てこない。しかしながら、俺は冷静に新聞や言論誌を眺めた末、バブル以降むしろ日本人の手によってその虐殺が世界中に真実として浸透しつつあった。と言うよりも、既に浸透してしまったと表現した方が適切だろう。とにかく、弱者(=迷惑をかけた国)に対して超配慮的と明らかに言えるだろう。
 他にも、読者達に身近な話では企業内における女性の立場、それを擁護する思想も行き過ぎを感じる者も多いのではないだろうか。女子社員に対してセクハラを理由にコピーも頼めないのだから。そして、「昨日の夜、何してたの?」なんて質問も禁じられているのだから。しかしながら、日本ではこういった現象に対して異議を唱えられない。各所から著しい反発を受けるからだ。
 作家の江藤淳さんは、そんなヒステリックな状況に対して日本の言語空間が閉ざされていると表現した。石原慎太郎さんも、ヒステリックな状況が起因して政治空間まで影響を受けていると嘆く。具体的には、『「婦人警官」を「女性警官」なんて言わないと、フェミニストがうるさいのだから』と石原さんは指摘している。
 とにかくバブル以降、超配慮的な人権思想が日本に蔓延していると俺は読者達に対して指摘したい。何度も言うが、こんな現象が未婚の男女の恋愛に影響を及ぼしているのだ。実はバブル以降、恋愛から疎外される男(モテない男)が激増して当然なのである。そこには因果関係がしっかりと存在するが、最終的にその罪によって苦しむのはむしろ女性側なのだ。男なら誰だって女は可愛い。俺だって例外ではない。だから、数多くの女と寝ているのだ。
 なお、俺は過去に物質主義を著しく批判した。しかしながら、ここで立場を明確にしたい。俺は物資主義を100%悪いメンタリティとは考えない。収入に応じた出費により、若いOL達がブランド品のスーツを着て合コンの会場に足を運ぶ。そんなことも多少であれば好感が持てる。元々、俺みたいな一人暮しの人間にとって物質主義の象徴であるコンビニエンス・ストアが無ければ、とても不便である。だが、モノには限度がある。今現在、この国家は一極集中状態なのだ。つまり、世界中の高級食材と高級ブランドがこの国家に大挙して他の国をしのぎながら集まっている。そして、ブランド品と高級食材が若者の恋愛とは切り離せない関係に成り済ました。この現象もバブル以降ではないだろうか。
 高級食材や高額なブランド品、それ等と切り離せない異常な恋愛を若者が強いられる空間。本来、こんな行為は趣味ではないのだが、その空間内で苦しむ者達のために俺は全てを暴露したい。
(フェミニズムの飛躍・・・・・・)
 
 前項と前々項において、弱者に対する言及を俺はさせてもらった。では、バブル以降、弱者の中でもとりわけ女性。そこに議論のスポットを当ててみたい。女性に対する超配慮的な人権思想、つまりフェミニズムについての議論である。バブル崩壊後、歪んだ時代背景の中で台頭した思想。この思想がバブル以降に台頭したことを知る者も多いだろう。テレビや新聞でそんな異変を感じた読者が大多数と思われる。
 ところで、フェミニストの多くは言う。今現在まで女性は男性から搾取されていた。家庭内においても職場でも学校でもと。くわえて、「男尊女卑」という考え方は女性の人権を虐げているし、女性を全般的に侮辱している考え方だと。こういった考え方をする者がいると同時に、女性が強くなるのはいいことだと指摘する者も多くなった。
 しかし、だ。バブル期を終えた今現在、もうすでにこの国は『女性侮辱社会』ではなく、逆に男性がコケにされ、虐げられている世の中とは言えないだろうか?つまり、『男性侮蔑社会』であると指摘できないだろうか。
 経済的側面と政治的側面、この2つに関しては完全にそうなってしまったとは言えないだろうが、現時点でかなり男女の立場が平等になりつつある。それについては結構なことかもしれない。しかし、少なくとも文化的側面においては『女尊男卑』社会が成立してしまったのは明らかだろう。
 小説や映画でも、強い女性と軟弱な男性を同時に描くケースはとても多くなった。とりわけ、出版界が販売に力を入れている、恋愛をテーマにした小説やエッセイやマンガの多くはその作品の背景となる思想としてフェミニズム(=人権思想も)が確認できるケースも多い。ゆえに、時として男性を必要以上に無能な存在として描いている小説やケースが多いだろう。
 そんな状況はやはり恋愛のあり方に影響して当然と思われる。
(フェミニズムの真相)
 
 フェミニズムという言葉が社会に蔓延しているが、この思想を許容している者は多いと思われる。だが、その多くはこの思想をはっきり理解していない。と言うよりも、全く解ってないと俺は強く指摘する。
 実は、この思想は絶対平等の共産主義思想と近親思想となっている。つまり、いかなる時にでも、男女を同等に扱うべきという絶対平等主義の思想がその背景に潜んでいるのだ。男と女の関係を支配と被支配に置き換えたり、上下関係や搾取者と被搾取者の関係など、そんな立場に両者を置き換えた末、その互いの立場を解体(=破壊)しようと考える思想(=主義)なのである。そこでは、男はブルジョア的存在であり、女はプロレタリアートであり、ここに奴隷的支配があるとした上での思想。くわえて、政治、経済、文化、そんな側面から男女すべて均等にその利益を享受するべきと考える思想。そしてその思想を浸透させるには、女性が家族の解体もいとわず(=ガキの面倒もないがしろにして)、家庭の枠から離れて働きに行くべきと考えている思想なのだ。
 俺がこう指摘すれば、共産主義思想はともかく、男女の立場を平等に尊重しているので歓迎したいと考える読者も多いかもしれない。しかし、この思想自体が全くの女性侮蔑思想であると言えないだろうか。フェミニストの方がはるかに女性をバカにしていると言えるはずだ。
 フェミニスト達は「女性=弱者」と指摘する。そして、女性の人権擁護を口にする。だが、この思想には決定的な誤りがある。つまり、今指摘したことー『女性は男性の前で弱者である』ーが前提となった議論なのだ。
(フェミニスト達の暴言!)
 
 フェミニスト達は専業主婦の労働を著しく侮辱する。男達の支配下に置かれた意味のない労働と決め付ける。
 だが、よく考えて欲しい。世間には、好きな男のために家庭に収まり、その子供の成長を側で助けたいと考える女性は沢山いる。そして、好きな男が仕事をやりやすいような環境(=家庭)にしてあげたいと考える女性も多いはずだ。だが、フェミニスト達はそんなメンタリティを著しく虐げる。
 本来、大人の女であれば、その付き合う男(自分のライフスタイルも)に対して何をするべきか自立した決断ができるはずだ。そして、各々の決断に対しては各々が尊重し合うべきである。くわえて指摘するが、自立した決断によって後々、その交際相手に泣かされるようなハメになったとしても、その本人の決断が間違っていたとしか言えないはずだ。間違って解釈して欲しくないが、この議論は女性にのみ適用できるわけではない。当然、男性にだって当てはまる。(有名人と言われる男性と好きで《=自立した判断で》付き合った女が、泣かされた後に週刊誌の編集部に駆け込み、悪い男だったと愚痴をこぼす姿は見苦しい。忘れた者も多いかもしれないが、過去に何度かあっただろう。)
 だが、フェミニスト達の暴言によって多くの女性の下した決断が屈辱的暴言を受けた。くれぐれも言うが、徹夜残業なんて女性の体力には不向きだ。だが、彼女達にはガキを安心させる笑顔がある。男を虜にする肉体美と精神美も宿っている。しかしながら、今現在の女性達はそこに自尊心が見出せない。フェミニストの暴言によって精神的搾取を受けているからだ。
 フェミニスト達は常にこの議論を多くの女性に付きつける。仮に専業主婦の労働が金銭に変換可能であれば年間で数百万。無報酬で働く彼女達は意味のない労働を強いられていると。
 俺はそんな連中に言いたい。高額な金銭に変換可能な労働のみを価値があると言うのであれば、この国家で一体意味のある労働は何割がやっているんだと。くわえて、ボランティアは最も意味のない労働になると。元々、この国家の行く末はガキが握っている。そのガキの面倒を真面目にみる女性の労働は神聖かつ高尚だろう。
(フェミニスト達の目論見)
 
 マルクスに取りつかれたフェミニスト達は目指している。家庭内の夫婦や企業内で働く男女達、他にも交際中の男女関係、それ等の関係を上下関係等と指摘した末、その関係を逆転させようとしている。あくまでも家庭内の父親(=扶養者)はブルジョア、そして母親(=被扶養者)はプロレタリアなのである。つまり、ガキ達を置き去りにしながら家庭内を階級闘争の場としていると言えるだろう。
 その闘争に勝利する(=ブルジョア支配の打倒の)ために母親達を家庭の外に追いやり、プロレタリア(=女性)が支配する社会の形成、それをフェミニストたちは目的としているのだ。フェミニストたちのスローガンに耳を傾ける。そうすれば、マルクスとエンゲルスの「共産党宣言」(岩波文庫)におけるブルジョアとプロレタリアの議論に帰結するのである。
 以上の議論から、フェミニズムが蔓延した社会において子供を産む魅力が多くから失われるのは当然と思われる。家庭に魅力を感じない者達が続出するのも当たり前だろう。そして、今著しく問題となっている、歯止めがかからない少子化も納得がいくと思われる。くわえて、ほとんど全ての国民が受け入れたがらない夫婦別姓論。夫婦に対して階級闘争を持ち込む議論から台頭しているのだが、その議論が発生する理由も理解できるだろう。夫婦別姓論は家族破壊思想から発生しているのだ。
 元々、虐げられたり、ガキに対して厳しくモノを言えないオヤジなんてなりたく者が多いと思われる。だが、現状は親の言い分も無能で、ガキ達は鬱積する不満から犯罪に走る者が激増している。
(なぜ、バブル以降?)
 
 では、なぜバブル後なのか?突然、フェミニズムが蔓延した理由を議論する。実はバブルとは直接関係ない。米ソの緊張状態が緩和(=デタント)され、つまり冷戦が終了して共産主義社会の象徴的国家であるソビエトが崩壊したからだ。ゆえに、国内の共産主義(=左翼)思想の連中はそのイデオロギーを破棄しなければならなくなった。そうなれば本来一件落着である。だが、彼等は他の思想を抱き出した。元々、共産主義思想が好きな連中だから、人権思想やフェミニズムを取り出したのである。ゆえに、ソ連が崩壊後、そんな思想が蔓延した。
 こうなってしまえば、モテない男が続出するに決まっている。男女間でも階級闘争が蔓延し、男性側が各所で虐げられるような社会と化して恋愛はやりにくくなる。
 そして、教師の威厳がない教育現場で、ガキ達が自立性を欠如したり、自分勝手になったように多くの女性からも男性に対して色々な面から異変が確認される。当然、人権思想からガキ達においても鬱積する不安が募った。
(本当に女性は虐げられていたのか?)
 
 冷戦崩壊後の議論をしたならば、それ以前の議論も必要だろう。フェミニスト達は指摘する。常に女性が男性の前で虐げられていたと。そして、多くがこの言葉をそのまま信用している。世間では多く連中の前でその言葉が常識と化した。
 しかしここで、色々な解明を目的として読者達の前で時計の針を一方的だが、第二次世界大戦に向けたい。一億総玉砕ーこの言葉を読者達は聞いたことがあるだろうか。戦時中、若い体力のある男達はゼロ戦に乗ったりしながら祖国のために戦った。彼等は守ろうとしたからだ。自分の祖国・自分の村・祖国の文化遺産(=京都に立ち並ぶ寺院等)・祖国の自然(富士山・サクラ・・・)・自分の出身校・自分の家族・友人・天皇陛下・国旗・君が代・女・子供・・・。
 戦闘に破れてしまえば、国家は植民地と化して言葉(=日本語、日本の文化の一つ)すらも失うかもしれないのである。かつて、サムライ達は自分の村(当然、そこで生活する女や子供も)を外敵から守るためにカタナを持って武装した。
 当時、欧米諸国はアジアに潜む大量の資源や豊富な労働力に目を向けていた。黄色い肌の人間達を偏見の目で見つめたりもしていた。だから、ABCD包囲網のような政策を考え、植民地支配を目論見、この国家を虐げようとした。そんな欧米諸国に対して、サムライの精神が潜むこの国家が抵抗したくなったとしても当然と言えるだろう。ヒトラーのイデオロギーと同じ動機で日本が戦争を始めるわけがない。だが、南京大虐殺の議論が発生後、同じ動機と考える外国人が続出している。・・・
 確かに勝てる戦いではなかったに違いない。だが、くれぐれも指摘するが、当時の大衆が先々も視野に入れながらそれを望んだのだ。本来、避けた方が良かった。しかし、当時には当時の事情がある。新聞社や知識人達が戦意を大衆に蔓延させる役割も果たしていたのだから。
 軍人にくわえ、体力のある若者は武装した。兵隊の絶対数が不足したならば、中学生も戦闘機に乗った。共同体(=国家や村等の集合体)にくわえ、老人や女や子供を保守するためである。当然、玉砕覚悟である。
 当時、天皇陛下の元で大衆の心理は一体となっていた。(ゆえに、男女も結ばれやすかった。女達は常に守られていたのだ。)だから、欧米に屈服するのであれば、一人ずつ靖国で眠り、最終的に全国民がこの国家において一体となって眠ることを望んでいたのだ。
 男の次は女、そしてその次は子供。天皇陛下と共に全国民が、その順番にこの祖国を守ろうとしたのである。危険な役割は男性が担った。そして、軍需工場で働いたりしながら、影で女性がそれを支えた。女達はそんな男性を尊敬したに違いない。だから、もしかしたら「男尊女卑」なのかもしれない。
 自分の好きな女に苦労をさせたくなくて、外に働きに行かせたくないオヤジ。可愛いガキの身近に女を置きたがるオヤジ。当時、そんなオヤジを女達は受け入れていたはずだ。だが、左翼の連中達はこんな美的家族を破壊した。そして、未婚女性の美的な恋愛観も破壊し、その心理は浮遊して、多くの女性のアイデンティティーは危機となったはずだ。そうなった末、腐蝕した恋愛観が蔓延することになった。しかしそれにしても、いつどこで男性が女性を虐げたと言うのだろうか?
 ところが、大半の歴史教科書では、そんな解釈がなかなかできない。とてもおかしな話だが、多くの歴史教科書が階級闘争史観による記述になっていたのだ。そんなブルジョア支配の打倒が背景となっている歴史教科書では、女性の恋愛観や家庭にも異変が発生して当然だろう。一方、そんな教科書が採用されてしまう理由だが、教育現場には左翼思想が蔓延しているからだ。だから、天皇陛下・軍人(自衛隊員も)・日の丸・君が代・・・。それ等を徹底して虐げる教育内容となった。今の社会を支える大衆は、そんな教科書で歴史を学び続けたのである。
(国家と恋愛の行く末を決める論争)
   
 天皇と民衆をつなぐメンタリティ
三島 しかしながら、これには天皇という2字が戦前ついていた。それが今はつかないのは、つけてもしょうがないと諸君は思っているだけで、これがついて、日本の底辺の民衆にどういう影響を与えるかということを一度でも考えたことがあるか。これは、本当に諸君が心の底から考えれば、くっついてこなければならぬと私は信じている。
 三島由紀夫・東大全共闘「美と共同体と東大闘争」角川文庫より引用

 政治・経済・文化・歴史・思想・軍事・恋愛・・・。こういった各々は互いが互いに影響を及ぼすに違いない。
  戦後、国家や恋愛の行く末を定めたかもしれない論争が東大の安田講堂で行なわれていた。共産主義イデオロギー(=マルクス思想=左翼思想=進歩的思想)の東大全共闘と三島由紀夫の討論がそれである。
  論理を駆使しながら三島由紀夫は天皇と民衆をつなぐメンタリティの重要性を全共闘の前で力説している。つまり、天皇陛下を頂点として、人間関係の垂直性(=上下)が民衆には必要と論じているのだ。一方、全共闘は今までの指摘でも予想できるだろうが、垂直性を破壊して横一線の関係を望んでいる。
  全共闘は打倒天皇陛下であり、互いの最終的な争点は天皇陛下だったが、討論はその日、明確な結論が出ないまま終わった。だが、全共闘達は勝利したと言っていいだろう。大江健三郎のような有害反日左翼作家もノーベル賞を取ったし、今現在の男女の恋愛でも一見すればそれは明らかだろう。

(勝利した理由)
 歴史的に民主主義はキリスト教徒の間で台頭している。そうであれば、キリストとは無縁の日本人は民主主義を安易に考えるべきではない。
 左翼イデオロギーの若者達はその後、新聞社等のマスコミ、大学を含めた教育現場、言論界、政界、そんな場所に好んで身を移した。ブルジョア支配を嫌悪したのだから、民間企業には入社したくなかっただろうし、また民間企業も彼等を受け入れたくはなかっただろう。
 以上を知らない読者も多いかもしれない。いちいち詳しくは説明しないが、前述した職場に大挙して身を移したことは事実なのである。だからこそ、大新聞の社説でもナショナリズムを浸透させないような記事が垂れ流された。同時に冷戦終了後、共産主義イデオロギーを捨てながらも、従軍慰安婦を始めとして戦後賠償問題を国家に追及する議論も台頭したのである。
 大衆は共産主義思想までは受け入れなかったが、それが背景となる人権思想やフェミニズムは受け入れてしまった。と言うよりも、知らない間に浸透してしまったのである。・・・
 本来、ナショナリズムを失うことは、日本の文化(家庭への魅力や共同体への配慮も)も失うことだ。だが、恋愛は文化(伝統や常識も含める)と切り離せない。その時代の文化の象徴が恋愛だろう。
 本来、特定の宗教を信仰しない民衆は天皇陛下が必要だったが、その状況で民主主義が浸透し、高度経済成長期を迎ながら企業は競争原理に追われた。良質の製品やサービスを企業も消費者も求め、その象徴がブランド品と高級食材と言えるだろうが、金融デリバティブ商品まで登場する。そうなってしまえば、金と物質が絶対的に美徳となって、好きな相手(愛する異性)を押しのけてしまう拝金主義者や物質主義者が続出してしまう。
 ゆえに、共産主義思想が背景に潜んだ恋愛観(=階級闘争が無意識に潜む恋愛観=打倒天皇陛下の恋愛観)が浸透した末、今現在男女の恋愛はグシャグシャとなったのだ。モテない男が続出してしまうのもやむを得ないだろう。
 くわえて冷戦終了後、著しい少子化を含めた、色々な歪みも理解できたのではないだろうか。
(言論人と恋愛)
 
 ところで、フェミニズムの実態に意外さを感じた読者が多いかもしれない。なぜ、こんな背景が世間に浸透しなかったのか?と。そのからくりもこの場で暴露したい。
 本来、こういった議論を世間に浸透させる役割は、大学教授を含めた言論人達が担うべきである。だが、彼等は言論がビジネスなのだ。商売なのである。つまり、著書を販売したり、シンポジウムを開催しながら生活費を稼ぐ。大学教授であれば、生徒の人気もそれなりに必要である。ところが、反フェミニズムは女性に不人気。取引先のお客様を半減させる可能性が潜んでいる。だから、反フェミニズムの言及は慎重に考える。
 ゆえに、フェミニズムの有害性を指摘する学者で有名な人はとても数少ない。その一方、フェミニズムの支持者はかなり多数なのである。元々、言論界は学生運動支持者やその経験者も多く、左翼思想が蔓延していた。三島由紀夫が作家として充実していた時期にしてもそうだったはずだ。
 以上からも言えるだろうが、言論人達は常に大衆を置き去りしているような気がする。彼等は政治の世界にもかなり影響を与えてきた。だが、現時点において左右の対立する思想が言論界においても政治の舞台においても手を握る気配がないと言えるだろう。ゆえに、大衆の多くは置き去りである。
 だが、今までの議論をブチ壊すようだが、左翼達にしても言論する権利はあるはずだ。フェミニスト達にも表現する自由があるだろう。左右を問うことなく、そんな権利が弾圧される国家は最悪だろう。
 そうなれば、問題なのはその数である。今現在、左翼思想が大多数に蔓延していると言えるが、その状況は異常である。自国の国家や国旗を愛さず、国家を保守するために死んだ靖国に眠る軍人や若者達に対して政治家達の参拝も許容しない者が未だいる。
 ところが今現在、敗戦国であるドイツは一部の言動は問題だが、大まかに正常なメンタリティを持つ国家として機能している。では、言論人達の論争も踏まえながら、なぜ日本の歯車が狂うのか?
(敗戦国に強いられる恋愛空間)
 
 歪んだ理由、それは日本は『原爆投下による敗戦国』だからだ。通常の敗戦ではなく、明らかに異常な敗戦。他のどの国も経験がないような特殊な敗戦だったからだ。
 ガキの頃、多くの読者も同じだろうが、俺はテレビやマンガで原爆投下を知った。強烈な破壊力であり、大多数の死者。考えられないような苦痛を受けている民衆。恋愛に限らず、政治や経済にもエゴイズムは潜むに違いない。だが、許容できないような究極と言える人間のエゴイズムがあの爆弾に潜んでいることは多くが認めるだろう。あんな爆弾がこの国家とこの民族を対象に投下されたのである。
 ドイツへはヒトラーを対象に兵隊と通常の爆弾を向けていた。ところが日本の場合、無関係な民間人を対象に超大型爆弾で多くを殺傷。しかも、それを2度も繰り返されている。その2発目は、必要性と善良性と道徳性、それ等がまるで見出せない。歴史学者の西尾幹二先生は、約10万人を殺傷した東京大空襲ですらも米軍の行為は異常と指摘する。
 無関係な他国は日本に比べれば、他人事と言えるかもしれない。しかし、投下されたのは日本であり、同じ民族が被害にあっている。だから今現在の、日本人の心理にも複雑な葛藤(=ある種のトラウマ)を潜ませたと俺は思う。被爆の経験は日本人の精神性と切っても切り離せないはずだ。
 通常、小学生になれば、原爆投下の事実を学ぶ。歴史教育は必要であり、悪いことではない。だが、その歳の頃と言えば、財布を落としただけで激しく狼狽するはずだ。ゆえに、大半の読者も原爆に対して複雑な感情を抱いただろう。
 そして、小学生を相手にする女性教師の一部がその爆弾の被害を考えれば、冷静な考察を忘れ、ヒステリックにもセンチメンタルにもなるだろう。その後、GHQの日本人に対する洗脳も待っていたのだから、感情的な理想平和主義者が続出してしまうのも仕方ない気がする。ゆえに、左と右の人数が正常ではなかった。・・・・・・
 とにかく、日本人の精神にはサムライや天皇陛下が潜んでいるだろう。だが、他の民族は全く経験がないような、あの巨大な爆弾による被害だって潜んでいる。原爆の被害は大きく、半世紀以上も経過しながら男女の恋愛する空間にも影響を及ぼしているのだ。以上により、恋愛空間を歪めた張本人は当時のアメリカ大統領トルーマンだ。
(俺の立場を明確にする)
 
 冷戦終了後、各所の男女達、そして恋愛から疎外されている男達、くわえて歯止めのかからない少子化、及び崩壊する家庭を眺めながら俺は塾を主宰した。開業中、仮にマスコミが「モテない男が増えた理由を教えて欲しい」と質問した時、この場で議論した内容を答えるつもりだった。しかし、目を通せば読者も分かると思うが、奥の深い議論なのである。くわえて、編集者や記者さん達の歴史観や思想も考慮し、口を閉ざす以外なかった。
 だがくれぐれも立場を明確にするが、今現在、俺は恋愛に疎外された者を救い上げるために黒板の前に立っている。それは絶対に最優先させるべき役柄であり、モテない男が増えている理由を世間に説明するのが仕事でもない。
 だから、生徒をより多く確保して、彼等が交際相手を確保し、そして仕事をやりやすくするような環境(=家庭)を形成することを他の何よりも目的としなければならないのだ。
 それが俺の役割なのだ。
 だが今現在、恋愛から疎外されている男性が続出中状態。そうであれば、女性だって恋愛を楽しめるわけがない。恋愛で悩んでいるのは男だけではないはずである。感情の眼を持つならば、男だけに違いない。しかし、冷静に考察すれば、女性も絶対に多く苦しんでいるはずだ。
 今現在女性も不安だろう。フェミニズムが蔓延したことによって、男性が女性の前で軟弱になってしまったことは間違いない。と言うのは、フェミニスト達は男性から父性を奪おうとしているからだ。同時に、女性に対して母性の存在すらも認めようとしないからだ。だから、男性は精神的に頼りない、と指摘されたとしても不思議ではない。しかし男性に限らず、女性側も歪んだ恋愛空間を拒んでいるはずだ。
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 著しい少子化を始め、今この国家は色々な面で病んでいると言えるだろう。文中の言葉を繰り返すが、政治・経済・文化・歴史・思想・軍事・恋愛・・・。こういった各々は互いが互いに影響を及ぼすに違いない。俺は恋愛の面からの再生が重要であり、必要なのではないかと多くの人に考えてもらいたいと思っている。・・・・・

誠意、真心、全力
共同企画デタント 塾長 草加大介